これは、わたしが小学生の頃に母から聞いた話である。
母が小学校低学年だったある夏の夜。
母の弟とおばあちゃんの3人で、仏間に蚊帳を張って寝ていたときのこと。
仏間の横には縁側があり、その向こうに小さな庭があり、
その向こうに塀がある。
その塀の端に木戸があり、その木戸を開けると通りに出ることができる。
昔の田舎なので木戸には鍵も無く、縁側の雨戸は開けたままだった。
母達は、仏壇に頭を向けて、母を真ん中に川の字で寝ていた。
ナツメ球の明りだけが、部屋の中を薄暗く照らしていた。
夜中、何時頃だろうか。母は何かの物音で目を覚ました。
音は、頭の方からする。どうやら仏壇の方らしい。
何だろう?
仏壇の方に目をやると、何者かが仏壇の引き出しを物色しているのが見えた。
薄暗い中で、ぼんやりと見えるその何者かは、女のよう見えた。
泥棒だ!と思った。
一気に目が覚めた。
恐怖のあまり声が出ず、その女から目を反らすことも出来なかった。
すると突然、女が振りかえって母の方を見た。
女と眼が合ってしまった。
急いで目を反らし、ゆっくりと掛け布団を頭の上まで引き上げた。
そして、息を殺して寝たふりをした。
しばらくの沈黙の後、女がゆっくりと近づいてくる気配がした。
それは、母の頭の上の方で止まった。
布団から30センチ位離れた所に蚊帳がある。
女はその向こうに立っているようだ。
母は身を硬くして寝たふりを続けた。
と、不意に頭の方から手が入ってきて、母の髪の毛を鷲掴みにした。
そして強い力でグイグイと引っ張ってきた。
母は必死に踏ん張って寝たふりを続けた。
2度3度と引っ張られた後、フッと手が離れた。
そして、女の気配が縁側の方へ遠ざかって行った。
音がしなくなり、気配もなくなった。
母は、しばらくじっとしていた。
そして、布団を少し持ち上げて、隙間から辺りの様子をうかがった。
見える範囲には女の姿は無い。
ゆっくりと布団から顔を出してみた。
女はいなくなっていた。
両隣りには、母の弟とおばあちゃんが何事も無かったように眠っている。
母は、二人を起こさず、まんじりともせず朝が来るのを待った。
母はこのことを、なぜだか誰にも言わなかった。
ただ、その女の顔に見覚えがあった。
学校の帰り道に、山羊の乳を売っているおばちゃんに似ていた。
確かめてみよう!
翌日学校帰りにそのおばちゃんの顔を確かめに行った。
おばちゃんの傍に行って、顔をじ~っと見ていた。
おばちゃんは母の顔を見ても、顔色一つ変えず、普通にしていた。
結局、仏壇から無くなった物は無く、
その女が山羊乳売りのおばちゃんだったかどうかも分からなかったそうである。
髪の毛を掴まれて、引っ張られた感触。
今でも忘れない
と母は言っていた。